論文草稿 ②
タイトル
アジェのパリとスティーグリッツのニューヨーク (副題)コロナ中の鎌倉とコロナ後の鎌倉
要約
最近の十年程個人的な活動として北鎌倉の歳時記を題材に写真撮影を続けている。 当然4年前突然コロナが始まり人の減った北鎌倉とごく最近賑わいが戻った同地を 目の当たりにした。それはあたかも全く違う場所か、或いは長い時間を隔てて見た 同じ場所の風景の変容であるかのようでもあった。この間普段よく撮影に行く市街地も活気がなくなって観光客等の来訪者が激減して小さな店舗等も次々と閉店してき、街の様子は大きな変貌を遂げた。しかし2023年に入ってからは徐々に人が戻り、 最近ではもう殆ど活気が『戻った』感もして、江ノ電沿線等は撮影が難しくなるほどの所謂オーバーツーリズムの懸念さえある。個人的な感覚では,何時日本でコロナが始まりまた終わったかについては、2020年2月に、例の大型クルーズ船が集団発生を起こしたまま横浜港に入港した時点で始まり、2023年4月に、条件付きながらも外国からの観光客の受け入れが再開した 時点が終わりである。
ご存知のように鎌倉は首都圏の小さな観光都市だがこの状況は都市の規模こそかなり違うとは言え19世紀末~20世紀初頭のパリとニューヨークの風景を同じ人間の目で見たとすればそのように感じるのではないか? この発想で上記の同時期パリで活動していたアジェ(前者)とニューヨークで活動していたスティーグリッツ(後者)の「ピクトリアリズムとストレート写真」の対立になぞらえて 「コロナ中の鎌倉とコロナ後の鎌倉のポートフォリオとして組み立てる」という意図で添付の作品の構成を考えた。勿論都市の規模の違いだけではなく 文化的・歴史的な違い等からくる文物の違い、現代では殆ど姿を見かけなくなった事物、例えば後者の馬車鉄道等は、鎌倉の実情に合わせて被写体を適当に置き換え表現した。また其々の表現のため撮影地域は前者の地域は、大船駅から北鎌倉駅を経て鎌倉駅に至る主として市街地、後者の地域は、藤沢駅から江の島駅を経て 稲村ケ崎に至る江ノ電沿線とした。また、両者を20点ずつの構成とし、4点x 5グループ、合計10グループに 分けて各々名称をつけ分類した。この分類は個々の作品のモチーフや印象により筆者の方で任意で名付けた もので、この両写真家の意図に由るものではない。各々、
①プロローグ、②オブジェ、③植物、④小径、⑤調度品と家具 (前者グループ) ⑥建築物、⑦人々、⑧ダイナミズム、⑨交通手段、⑩エピローグ(後者グループ)
とした。