論文(最終)
タイトル
アジェのパリとスティーグリッツのニューヨーク (副題)コロナ中の鎌倉とコロナ後の鎌倉
要約
最近の十年程個人的な活動として北鎌倉の歳時記を題材に写真撮影を続けている。 当然4年前突然コロナが始まり人の減った北鎌倉とごく最近賑わいが戻った同地を 目の当たりにした。それはあたかも全く違う場所か、或いは長い時間を隔てて見た 同じ場所の風景の変容であるかのようでもあった。この間普段よく撮影に行く市街地も活気がなくなって来訪者が激減して小さな店舗等も次々と閉店してゆき、街の様子は大きな変貌を遂げた。しかし2023年に入ってからは徐々に人が戻り、 最近ではもう殆ど活気が「戻った」感もして、江ノ電沿線等は撮影が難しくなるほどの所謂観光公害の懸念さえある。
ご存知のように鎌倉は首都圏の小さな観光都市だがこの状況は都市の規模こそかなり違うとは言え19世紀末~20世紀初頭のパリとニューヨークの風景を同じ人間の目で見たとすればそのように感じるのではないか? この発想で上記の同時期パリで活動していたアジェ(前者)とニューヨークで活動していたスティーグリッツ(後者)の「ピクトリアリズムとストレート写真」の対立になぞらえて 「コロナ中の鎌倉とコロナ後の鎌倉のポートフォリオとして組み立てる」という意図で添付の作品の構成を考えた。勿論都市の規模の違いだけではなく 文化的・歴史的な違い等からくる文物の違い、現代では殆ど姿を見かけなくなった事物、例えば後者の馬車鉄道等は、鎌倉の実情に合わせて被写体を適当に置き換え表現した。また其々の表現のため撮影は前者の地域は、大船駅から北鎌倉駅を経て鎌倉駅に至る主として市街地、後者の地域は、藤沢駅から江の島駅を経て稲村ケ崎に至る江ノ電沿線とした。また、両者を20点ずつの構成とし、4点x 5グループ、合計10グループに 分けて各々名称をつけ分類した。この分類は個々の作品のモチーフや印象により筆者の方で任意で名付けた もので、この両写真家の意図に由るものではない。各々、
①プロローグ、②オブジェ、③植物、④小径、⑤調度品と家具 (前者グループ) ⑥建築物、⑦人々、⑧ダイナミズム、⑨交通手段、⑩エピローグ(後者グループ)
とした。
上述を踏まえて作品を制作しているが、実際に撮影に出かけてみればどこでよい被写体に出合うのかも予想できなかったので、個人的なフィーリング・好み等が合えばシャッターを切ることにしていた。よって、手の付けやすさも考慮して、大まかな方向性としては「雰囲気」的には静謐で少し寂しさの漂う作品群をアジェ風とし、躍動感があふれ明るい作品群をスティーグリッツ風として、撮影地とモチーフ的には鎌倉・北鎌倉の神社仏閣周辺や町並みをアジェ風として、上記の2グループに分けて写真撮影・作品制作を進めていった。
但し問題点もあり、繰り返しにはなるが、特に上記スティーグリッツ風作品の構成として、彼が米国に帰国した当時の、ニューヨークの勃興に対する象徴的で重要な作品のモチーフとしての、蒸気機関車、馬車鉄道、等が現在の鎌倉には存在せず、是非とも作品中に加えるなら観光用のそれらを都内や観光地などで撮影してくる以外には方法はなさそうなので、「全てを鎌倉で」というコンセプトから、現在の鎌倉の実情に合わせて被写体を適当に置き換えて表現した。例えば蒸気機関車は国道の自動車の車列に、馬車鉄道は大船駅発着のバスやモノレールに置き換えて表現した。また作品は全てフィルムカメラで撮影しており、それらを一旦印画紙にプリントしてから、デジタルイメージを作成している。
作品の内容を考えると、アジェのパートに関して言えば、幸運にも鎌倉は太平洋戦争末期の空襲等による大きな戦禍は被らず、歴史的な事物の保存状態は比較的良好と言えるので、アジェが行ったような典型的19世紀の記録者の手法、即ち、植物、モニュメント、風景等の絵画的主題の写真を地域毎に分類して多数撮影するやり方で、アジェが見続けた次第に寂しくなっていくパリを鎌倉に置き換えて擬える事はできていると考えている。また都市部の人気観光地であるが故の弊害、つまり都会化(原宿化とも言えようが)してしまう前に多くの「今」の鎌倉の事物を記録しておくことは意味があったようにも思う。
一方、スティーグリッツのパートに関して言えば、彼の1890年から1910年の間の活動をみるに、ヨーロッパからニューヨークに戻った直後の同地の変容により受けた、言わば、カルチャーショックのため、その作風が一時的にピクトリアリズムからストレート写真に大きく変容している。筆者の意図としてはこの間の彼の作風を鎌倉の都会的な部分を撮影することにより表現しようとしているが、ほとんど無制限に開発が進んだニューヨークに対し、鎌倉は都市景観条例等の制限によりかなり迫力に欠け、特にウォーターフロントの地域において物足りなさが残った。結果として、スティーグリッツがヨーロッパからの帰国直後に見た勃興するニューヨークの姿を鎌倉の域内の事物だけで擬える事は些か無理があったと認めざるを得ない。
以上